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聖丸様

 投稿者:むーさん・管理人  投稿日:2015年 1月 8日(木)10時09分58秒
  コメント、有難う御座います。私が25歳ごろ、昭和37年及び昭和38年の簡単な旅行と写真が貴方様にお役に立ったようで、大変、嬉しく思います。出来れば黄瀬川の橋が落ちる前に全線乗ってみたかったのですが、気が付くのが遅かったです。やはり「気づいたらすぐに行動!」ですね。気づいてもノソノソしている、私の欠点がモロにでました。
沼津駅の軌道線の停車場の屋根の下、二度と動けなくなった2両の電車の寂しそうな姿が印象に残って居ります。
廃線と言えば、複線だった御殿場線、特に東側には上下線が分離した部分があり、単線化で橋梁、隧道、道床が残って居ました。そんな「遺跡」もだんだんと目立たなくなり、現在は電車の先頭に乗って目を凝らしていたも、分らないところも多くなりました。
沼津駅から港までの貨物線も、いまでは緑道になりました。
廃線跡の探索、鉄道だけでなく周辺の施設、歴史まで含めて研究されるとよろしいかと思います。
 
 

はじめまして

 投稿者:聖丸  投稿日:2015年 1月 7日(水)21時51分34秒
  沼津市内に住む聖丸(ひじりまる)という者です。伊豆箱根鉄道軌道線の写真を拝見しました。私はまだ28歳の若輩者ですが、親から昔は沼津市に路面電車があったという話を聞いた事があり、「どんな電車だろう?」「どこまで続いているんだろう?」「路線跡はあるのだろうか?」と思っていました
ネットが普及し、スマホで検索し、念願の路面電車を拝む事ができました。ありがとうございます!
なお、肝心の路線跡は残念ながらほとんど消滅していました。しかし、軌道沿いの黄瀬川橋付近に信号場と思われる異様に開けた場所があり、それが唯一の痕跡だと思われます。私は廃線跡や廃随道のサイトを見たりするのが好きで、静岡県東部辺りなら自ら跡地を見に行ったりしています。本当に貴重な写真を見せていただきありがとうございます!お身体に気を付けて下さいね
 

御嶽山

 投稿者:むーさん・管理人  投稿日:2014年12月29日(月)20時57分19秒
  ■■ hiromat様
コメント有難う御座います。小学生時代の御嶽山の思い出を語って下さいましたが、戦前生まれの私は、御嶽山駅、雪谷の車庫、そして池上線の踏切で遊んでいました。ブルーと黄色の電車に育てられ、鉄道ファンになりました。
新鶴見も行かれたとの事、あれは高校時代、カメラを肩に、自転車で下丸子からキャノンカメラの前を通り、ガス橋を渡って新鶴見まで行っていました。まだまだ、貨物輸送が斜陽化する前で、蒸気機関車、電気機関車が長大編成の貨物列車を牽いて出入りして居ました。輸送事情の大変かで、あの新鶴見もすっかり姿が変わってしまいました。
70年代の写真が沢山あるようですね、ブログで発表なさったら如何でしょうか?ホームページ作成ソフトも要らず、簡単に発表の場になります。取り敢えずフェースブックあたりでスタートするのも良いかもしれません。私は、ホームページ、ブログ、SMSの三本立てです。
雪谷の模型屋さん、たぶんお隣が「ぎょろめ屋」というおもちゃ屋さんだったと思います。私も、あそこで、パーツを買ってOゲージの模型を作ったこともあります。昭和30年頃はHOゲージで下丸子の模型屋さんによく行きました。
思い出を語れば長くなります。この辺で失礼いたします。コメント有難う御座います。感謝!!
 

懐かしの御嶽山

 投稿者:hiromat  投稿日:2014年12月28日(日)12時16分39秒
  初めまして 貴重なお写真を拝見させていただきありがとうございます。常磐線については、面白く拝見させていただきました。当時南千住に住んでいたこともあり、たまに柏の親戚の家からの帰り道千住の「お化け煙突」を幼児ながらに不思議に思いながら見ていたのを覚えて居ります。小学生になり(昭和40年ごろ)引っ越して御嶽山に4年ほど住んだ、その時の記憶がよみがえってきました。引っ越した時期にはすでに0系が品鶴線の横をけたたましく走っており、当初やまぶき色と藍色の2トーンカラーの池上線が緑色に替わったそんな時期です。御嶽山の踏切脇の牛乳屋さんで瓶入りのヨーグルトを母親に買ってもらい、喜んで食べたものです。雪が谷大塚の池上線車庫前にあった模型屋さんに、弟と鉄道模型を見にいったこともありました。弟は御嶽神社の御岳(みたけ?)幼稚園に通っておりました。その後小学校も高学年になり雪谷高校の裏手でガードレールに上ってEF15やEH10などの貨物を写真に収めて楽しんでおりました。
毎日午前11時頃(何時なのか記憶が怪しいですが)定期的にEF58が客車に付随する荷物車を何両か引いてくるのを楽しみにしていたこともあります。
その後蒸気機関車のブームとなり、友達と自転車で新鶴見操車場に配備されていたD51を写真に収めに行ったのも思い出しました。機関区で偶然その当時ブルートレイン(カニ22時代)を引いていたEF65の500番代に遭遇したり、両運転台のクモハ12に出くわしたりと、まるでアミューズメントパークでした。私にとってあの時代は「蜜月の日々」といってよかったのかもしれません。
私の写真もお見せできるとよいのですが・・・(残念ながら70年代が多いです)
本当にありがとうございました。いつまでもお元気で!
 

コメント、有難う御座います。

 投稿者:むーさん・管理人  投稿日:2014年11月29日(土)14時00分28秒
  コメント有難う御座います。私は、もうじき77歳になる鉄道ファンです。1999年、定年退職を機に、パソコン、スキャナ等を揃えて、若い頃に撮った鉄道関係の写真をホームページ上で、公開して居ます。古い写真はホームページ、新しい旅行記などはブログと言う事にしていますが、境界はあいまいです。
railway様のWEB、拝見致しました。各地を訪問され、ネット公開は大変な労力とセンスが必要だと言う事は、経験から分るので、railway様のホームページは、まさに、偉業と言えるのではないかと思います。
今後も、旅の記録をネット公開されんことを望みます。旅行記と写真アルバムを分けて居られますが、旅行記中にも多少はキーになる画像が欲しいなあと思いました。
 

はじめまして

 投稿者:railway  投稿日:2014年11月27日(木)14時58分20秒
   はじめてHPを拝見しました。私はむーさんより1周り下の世代と思いますが、どれもこれも興味深い画像ばかりで、しばらく見入ってしまいました。私の画像はここ10数年携帯画像ばかりで本格的なカメラを所持していません。かつては三脚かついであちこち出かけていたのですが、写真の上手い方はたくさんおいでになるので、私は写す方はそちらに譲っています。私は日本の鉄道全線完乗していますが、画像の記録はあまりなく、旅の途中メモを基に後日紀行記にまとめて保存しています。宜しければ一度ご訪問下さい。これからもブログ拝見させていただきます。ありがとうございました。

http://www1.cnc.jp/mgsclub/railway102.htm

 

薬師寺

 投稿者:むーさん・管理人  投稿日:2014年11月 1日(土)23時52分2秒
  励ましのお言葉、有難う御座います。奈良は、費用的に遥かに遠く、京都よりも遠く、なかなか行けないものですね。オトナになってからの奈良は東大寺、新薬師寺、興福寺、法隆寺、法起寺というところです。西の京の薬師寺と唐招提寺には行きたいものだと思って居ります。一人歩きのできる体力のあるうちに・・・。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/

 

高校修学旅行(下)奈良京都

 投稿者:Anna  投稿日:2014年11月 1日(土)09時07分43秒
  はじめまして。貴重な写真、楽しく拝見させていただいております。

> 薬師寺です。一応、みんなと東塔を眺めたり、西塔跡を見たりしてるうちに、
> お寺の脇を近鉄が走ってるのに気が付いて 、私だけ脱線。ご本尊様も拝まずに電車に熱中してしまいました。

この時にしか見れなかった風景を写真に収めることができたのですから
良かったんじゃないでしょうか(^^)
ご本尊様は今も変わらずあると思いますので…

いっそ、当時のコースをたどって、もう一度「修学旅行」してみては如何ですか?
 

スハ32、オハ35、スハ43

 投稿者:むーさん・管理人  投稿日:2014年 9月15日(月)09時47分18秒
  遅くなりまして申し訳ありません。子供時代には大窓のオハ35が好きだったのですが、年齢が上がり高校くらいには、すっかりスハ32ファンになって居りました。二桁ナンバーの二重屋根車も、丸屋根のも、両方とも好きでしたね。高校時代、学校帰りに新橋~五反田感を山手線利用でしたが、必ずと言って良い位、新橋~品川は列車利用でした。門司行なんてスケールの大きい普通列車がありましたっけ。長距離急行列車のスハ43、スハフ42も好きでしたね。ナハ10や11は、明るく清潔でしたが、なんだかスハ43の方が品格あるような気がしました。
電車も悪くはないのですが、急行・準急の153や165を頂点に、3ドア車など、段々好きで無くなってきました。
現代のハイスピードも決して嫌いではないのですが、「旅の味」という点では昔の方が良かった気がします。ただ、汗っカキの私、真夏の旅は辛かったですが(笑)。

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/

 

スハ32系礼賛

 投稿者:こがね丸  投稿日:2014年 7月12日(土)11時58分56秒
  東京―袋井間の32系客車の旅を時々再見しています。私もむーさん様と同年代ですから、当時の東海道線を32系でよく乗り歩きしました。昭和27年の中学3年生から関西乗り歩きを始めましたが、貧乏高校生、貧乏大学生の時代には東海道線の鈍行をフルに活用しました。東海道線、山陽線の鈍行列車は、昭和10年代からスハ32系の天下で、まれにオハ35系が混じっているという状況が続いていました(昭和40年代初めまで)。32系が多かったのは二大幹線ということで、新製時から優先的に東海道・山陽線の普通列車用に大量投入されたためです。他の幹線では32系が急行に使われるなど、貴重品の存在でしたが、東海道・山陽線では気軽に乗れる庶民の客車でした。昭和27年に初めて急行「瀬戸」(東シナ受け持ち)に乗ったときは、編成のほとんどがスハ32形とオハ35形でした。まだスハ43系が新製中で、投入する急行にランクがあったようで、「瀬戸」や「出雲」には新車が回ってこなかったのでしょう(昭和29年には両急行ともに晴れて43系の編成になりましたが)。
東海道・山陽線のスハ32系は初期の二重屋根車から晩期のリベットなし、窓帯なしの試作車まで多数のスタイルが見られて楽しみでした。東海道、山陽の順に新車を入れていたので東京口では正統派の標準設計車が多く、京都や大阪始発で山陽路に向かう32系鈍行の方がバラエティーに富んでいました。これらも順次80系電車や111、113系電車に置き換えられて、昔話になってしまいましたね。すばらしい記録写真に感謝しています。
 

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