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熱い夏

 投稿者:yocメール  投稿日:2010年 8月29日(日)20時10分52秒
  今年の夏の暑さは異常だ。そろそろ我慢の限界かも・・  
 

Tempo

 投稿者:yoc  投稿日:2010年 2月 4日(木)22時02分20秒
  Tempo.
Proprio una cosa terribile.
Dieci anni sono passato dal'ultima notizie.
 

(無題)

 投稿者:yoc  投稿日:2010年 2月 4日(木)21時58分12秒
  Sono profondamente desperato .  

2001年は・・・

 投稿者:yocmondoメール  投稿日:2001年12月31日(月)23時03分17秒
  2001年はもうあと1時間で終わろうとしています。

後から振りかえっても、2001年は時代の変わり目っだったと思い起こされることでしょう。

美術を取り巻く環境はますます厳しさを増しているけれど、美術の心を失ったら世界は本当に貧しいものになってしまうということだけは忘れないでいましょう。現実の美術は確かに制度によってゆがめられているけれど、美術の心はいつも制度の周縁で呼吸し続けていると信じます。

今年も“おぐらよういちの広場”http://homepage1.nifty.com/yocmondo/ と共に、大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

                          yocmondo



http://homepage1.nifty.com/yocmondo/

 

制作公開相談会『自分の眼で見る』に参加して

 投稿者:yoc  投稿日:2001年11月 6日(火)00時15分34秒
 
一週間前のことですが、横浜美術館の市民のアトリエでの制作公開相談会というものにアドバイザー(計3人のうちの一人として)という形で参加して来ました。「自分の眼で見る」というテーマで、8人の参加者が自分の作品を持参し、約40人の視聴者の前で、作品や制作についてアドバイザーにコメントを求めたり、視聴者も含めて話し合ったりするというものでした。参加者はどういうわけか全員女性でしたが(最近、どこでも女性が目立つ…)、年齢も10代から70代(?)までと幅広く、作品も、学校では考えられないほど方向も内容もバラバラなものでした。例えば、細密かつ曖昧な連続イメージを鉛筆で延々と紙を継ぎ足しながら毎日毎日描き続けている人やカラスを描きたくて絵を描いている人や、また大きな風景画を描き、その中に孫をどうしても入れたくて描いたものの、果たして絵として妥当なことなのかどうか悩んでいる年配の方などいろいろです。一番興味深かったのは、予備校のデッサンに疑問を感じて美大進学を断念した女性が、それぞれに異なる手法(見方)で描いた自分の手のデッサンを何枚も持ってきたことです。それはまさに「自分の眼で見る」というテーマにもっとも相応しい行為に思えましたが、本人自身はその行為の位置付けに悩んでいるようでした。
 これらの参加者達には、共通して、美術学校や美術の先生などに矯正される以前の自由な表現の可能性が見られるのですが、残念なことは、それと同時に、自分たちには美術の基礎が無いというコンプレックスがどこかにあって、せっかくの自分の眼差しを、他者の基準に置き換えようとしているように思えるところがあります。
 「美術の基礎はどこで学んだら良いでしょうか?」、「やはり、美術学校に行くべきでしょうか?」、「デッサンはいつまで、またはどこまでやったらよいでしょうか?」というような質問に苦労して答えながら、そのような思いを強くしたわけです。皆さんならどう答えられるでしょうか? それに‘美術の基礎’とは一体なんでしょうね?

*この制作相談会の資料として作成したテキスト『「自分の眼で見ること」と私の作品制作』が、このHPのテキストのページに掲載してあります。ご覧になってください。
 

作品について

 投稿者:yocmondo  投稿日:2001年 9月 1日(土)21時14分56秒
  「おぐらよういちの広場」のコメント753(bekさんへのレス)の補足です。

‘広場の掲示板’のbekさんのコメント(下記に引用)
> 全体にのどかで、ゆったりした作品が多いのかなって思いました。
> 印象的な作品は、枝が別れている作品でしょうか。
> 枝の先って、成長する点なんですよね。
> それを見ながら思いました。

>のどかで、ゆったり<といった印象はどうしてなんだろうと考えてみましたが、私の作品は’83年のERODINGを境に、重力に素直な開放構造に変化しました。それは、それ以前の凝縮した人間像や世界観からの脱却だったのですが、それ以後のそういった自然発生的でゆるやかな構造を持つ作品のニュアンスを写真イメージから感じていただいたとするならたいへん嬉しいことです。

それから、>印象的な作品は、枝が別れている作品< と言われたのも、いろいろ考えさせられました。何故あえて、>別れている<(‘分かれている’よりいい表現かも…)と限定されたのでしょうか? 良かったら教えてください。別れているか別れていないかは、多分ご想像されていると思いますが、私の造形ではかなり重要な意味を持っています。また、ご指摘のように、枝の先は成長する点でもあり、時空の要でもありと未来に震える場所でもあります。>変な感想<どころか作品を良く見ていただいたことを感謝します。

            yocmondo/おぐらよういち

 

こちらにも一言!

 投稿者:yocメール  投稿日:2001年 5月27日(日)00時00分0秒
  こんばんは

‘広場’のHPの管理だけでも手一杯で、なかなかこちらの管理が出来ません。

動きがなくて淋しいので、訪問された方は何か一言お願いします。

こっちにもっと別の世界が出来ないか考え中です。

ではでは

 

久し振りで

 投稿者:yocメール  投稿日:2001年 2月17日(土)22時55分19秒
  こんばんは

こちらの書きこみは久し振り。 いつのまにか2月も半ばになりました。
まだ寒いですが、なんとなく春の気配がしてくる頃です。近くの公園では梅の花が満開ですし、池の水鳥もざわざわしだしています。この公園にはバリケンというアヒルと鶏の中間みたいな変な鳥が住み着いていて、今日も寄って来て手からパンの切れ端を食べるのでした。

 

Happy New Century !

 投稿者:おぐらメール  投稿日:2001年 1月 1日(月)16時09分4秒
  21世紀おめでとうございます

年も世紀も変わって新鮮な気持ちです。
真新しい心で、いろいろなことについて話せれば、それは必ず良いことにつながると信じます。
今年もよろしくお願いします。
 

あともうちょっとで20世紀は終わりなのだ!

 投稿者:おぐらメール  投稿日:2000年12月30日(土)22時10分25秒
  こんばんは

あと26時間ほどで20世紀は終わります。
でも別にどうということはありません。 こんな世紀は早く終わったほうが良いと思います。
おまけに、こんな冴えない‘世紀末’はなるべくサッサと切り上げてもらいたいのです。
21世紀と呼称が変わっただけでも、なにかが良い方向に変わり始めるでしょう。きっとそんなものなのです。そうなるハズなのです!

このHPも来年はもう少し活用したいと思っています。そういうわけで、‘おぐらよういちの広場’と共に来年もよろしくお願いします。

では、良い年、良い世紀をお迎えください!
 

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